現在の今上天皇陛下は第126代の天皇陛下です。
その即位の日に令和と改元されました。
その天皇陛下が学生時代のあだ名が「でんでん」だったというのです。
天皇陛下のあだ名が「でんでん」となった理由は何なのでしょうか?
また学生時代はどんな学生生活を送っていたのでしょうか?
しかし将来の天皇陛下になる人にあだ名をつけるって凄いと思います。
でも陰で悪い感じで言われるのではなく親しみを込めて言われているあだ名であれば国民の中で身近に感じられているので良いことですよね。
天皇陛下の学生時代のあだ名が「でんでん」の理由
皇太子時代の徳仁親王は学習院大学に進学しています。
学習院大学では音楽部に所属していてヴィオラを担当していました。
当時徳仁親王は幼少のころからヴァイオリンを習われていましたが、大学ではヴィオラの担当の人数が足らなかったので転向したそうです。
そして音楽部の中で「でんでん」と言われていたそうです。
音楽部の先輩の中で徳仁親王殿下の殿下から「でんでん」と呼んでいる人がいたと音楽部の2年後輩だった竹内さんが語っています。
また竹内さんは音楽部での「でんでん」の他のエピソードを語っていましたのでご紹介します。
天皇陛下「でんでん」の音楽部のエピソードとは
徳仁親王が音楽部に入ると新歓コンパが開かれました。
新歓コンパとは新入生歓迎コンパのことですね。
当時は今と違い新歓コンパは普通に新入生もアルコールを飲んでいました。
もうすでに時効ということで勘弁してあげてくださいね。
当時入部したばかりの男子学生には新歓コンパであることをすること強制されます。
どんなことをするのかというと入部した男子学生はビールを一気飲みし一人一人好きな女の子の名前を叫ぶのです。
そして先輩から会場の目の前にある汚い池に突き落とされるというものです。
なんと当時の先輩たちに1年生の徳仁親王はこれをやる!と宣言したそうです。
しかし先輩は池に突き落としてもよいものか迷って傍にいた侍従にアイコンタクトをすると“どうぞどうぞ”と言われるので思いっきり突き飛ばしたそうです。
ここで気になるのは徳仁親王が好きな人を叫んだかということですね。
この時の先輩は徳仁親王が好きな人を叫ぶ前に突き落としたそうです。
先輩ナイスプレーですね!
ここで好きな人を叫んでしまったら将来の皇后陛下になるのか!と世間を騒がせてしまいますからね。
かなり機転の利いた先輩ですね。
そして飲み会に侍従がついてくるのも驚きですね!
徳仁親王は特別な環境下であったと思いますが、音楽部の中では特別扱いされることなく学生時代を謳歌されたのですね。
誰かさんと違って。
天皇陛下の学生時代のあだ名がでんでんになった理由のまとめ
今上天皇陛下が皇太子時代、徳仁親王のころ、学習院大学の音楽部に入部します。
その先輩から徳仁殿下と呼ばれていたことから殿下にちなんで「でんでん」と呼ばれていました。
学生時代は特別扱いされず、とても学生生活を謳歌されていたようです。
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