東京パラリンピックで視覚障害者柔道の代表になっている廣瀬悠選手は大学や高校などはどこの学校に通っていたのでしょうか?
パラリンピックは北京大会、リオデジャネイロ大会に出場していて東京大会で3大会出場になります。
北京大会では5位、リオデジャネイロ大会は12位でしたので東京大会では念願のメダルを目指しています。
そんな世界の舞台に立つ柔道選手の廣瀬悠選手は大学や高校など一体どんな学歴や経歴なんでしょうか?
廣瀬悠は大学や高校はどこの学校に通っていたのか?
東京パラリンピックで3大会出場することになる柔道代表の廣瀬悠選手は大学や高校はどこの学校に通っていたのか調べてみました。
廣瀬悠(はるか)選手は1979年7月17日に愛媛県松山市で生まれました。
小学校2年生の時に友達に誘われたのが柔道を始めたきっかけだったそうです。
小学校、中学校は地元の学校に通っていたのでしょうね。
詳しい情報がありませんでした。
高校は愛媛県立宇和島東高校に進学しました。
公立学校ですが甲子園などでも活躍している学校で野球選手やサッカー選手になった卒業生がたくさんいます。
廣瀬悠選手は高校時代にはインターハイにも出場しました。
しかし高校時代に緑内障を患ってしまったために高校卒業と共に柔道を離れることにしたそうです。
一旦は進学せずに乳製品工場に就職しましたが退職し2004年に鍼灸師の資格を取る為に愛媛県立松山盲学校に入学することに。
その時の担任の先生がシドニーパラリンピックの陸上競技男子400メートルリレー2位の矢野繁樹さんでした。
矢野繁樹先生からは「廣瀬君のレベルだったらパラリンピックに出られるよ」と太鼓判を押されたことなどから視覚障害者柔道で柔道に復帰することになりました。
またこの頃にはブラジリアン柔術も取り組んで黒帯を取得します。
ですから廣瀬悠選手は大学には通っていません。
2008年には北京パラリンピックに出場して5位入賞しました。
この時にはパラリンピックに出場することを目標にしていたこともあり3位決定戦で負けてしまったそうです。
ロンドンオリンピックはその時に勤めていた会社のお仕事の関係もあってかなり忙しかったり、試合に出るのにも有休を使うなど制限があったために出場権は違う選手が獲得したそうです。
2013年からはその後のちの奥さんになる順子さんと出会いお付き合いをしていたそうです。
そして2015年には順子さん(順子さんも視覚障害者柔道選手)と結婚して2人で伊藤忠丸紅鉄鋼買う式会社に所属しリオパラリンピックを目指します。
廣瀬悠選手は主に自分のことよりも奥さんの順子さんの指導を行って練習をしていました。
その甲斐あって2人でリオパラリンピックに出場しました。
奥さんの順子さんは初出場で銅メダルを獲得しますが惜しくも廣瀬悠選手はメダルには届きませんでした。
東京大会でも夫婦そろっての出場になります。
— 廣瀬悠 (@d9GXyhrGGPOQVFd) May 23, 2020
プレッシャーも相当と思いますので自分の柔道をしっかりしてもらえると結果もついてくるのではないでしょうか。
リラックスで臨んでほしいですね。
11月22日いい夫婦の日
読売新聞に掲載してもらいました旦那さんは、俳優なのに、
リアクションがお笑い芸人、
流石でした奥さんは、オーラでてました。
気品あるし、流石です。
順子は、終始緊張!!笑貴重な体験ありがとうございました#廣瀬悠 #廣瀬順子 #中尾明慶 #仲里依紗 pic.twitter.com/WGy1ZauLjD
— 廣瀬悠 (@d9GXyhrGGPOQVFd) November 27, 2019
廣瀬悠の大学や高校はどこの学校に通っていたのまとめ
東京パラリンピックの柔道代表選手に選ばれている廣瀬悠選手の大学や高校などの学歴について調べました。
廣瀬悠選手は愛媛県立宇和島東高校に進学し柔道でインターハイにも出場しますが緑内障を患ってしまい高校卒業と同時に柔道とは離れてしまいます。
そして一旦就職することになったので大学には進学していません。
就職したものの鍼灸師を目指すことになり会社を退職し愛媛県立松山盲学校に入学します。
その後担任の先生から背中を押してもらい視覚障害者柔道に復帰することになりました。
それから国際大会にも出場する選手に成長していきパラリンピックには2回出場しました。
この東京大会ではぜひ悲願のメダルを獲得できるようにリラックスして自分らしい柔道が出来る様に皆さんもぜひ応援してあげて下さい。
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