東京パラリンピックの競泳で日本代表に選ばれた木村敬一の高校や大学などの学歴について調べてみました。
ロンドンパラリンピックでは日本選手団の旗手を務めリオパラリンピックでは日本選手最多の銀メダル2個、銅メダル2個を獲得している。
そんな木村敬一は先天性疾患のため2歳の時に全盲になってしまいお母さんの勧めで10歳から水泳を始めました。
どんな学歴を通して世界大会でも活躍できる水泳選手になったのか気になりますね。
木村敬一はどこの高校や大学に通っていたのでしょうか?
木村敬一の高校や大学はどこの学校に通ったの?
東京パラリンピックの競泳で代表に選ばれた木村敬一は1990年9月11日に滋賀県に生まれました。
そして2歳の時に先天性疾患により全盲になりました。
とてもやんちゃで運動が好きだったのでケガが絶えなかった為、お母さんが安全な場所を探していたらプールにたどり着いたとの事でお母さんの勧めで10歳の時に水泳を始めたそうです。
2003年には寮生活をしていた地元の滋賀県立盲学校小学部を卒業と同時に上京し、筑波大学付属視覚特別支援学校に入学します。
この筑波大学付属視覚支援学校は日本で唯一の国立の視覚支援学校です。
幼稚部、小学部、中学部、高等部、専攻科(鍼灸手技療法科 ・鍼灸手技療法研修科・理学療法科・音楽科)が設置されています。
そして木村敬一は中学部、高等部に通っています。
通うといっても実家は滋賀県ですので中学でも寮生活をすることになりました。
そしてこの学校で水泳部に入部して練習するようになります。
ここでメキメキを力をつけて2008年高校3年生の時に北京パラリンピックに初出場することになりました。
この時の成績は100m自由形で5位、100mバタフライで6位、100m平泳ぎで5位という成績でした。
高校生で初出場でこの成績はとても立派ですね!
2009年には日本大学文理学部に入学しました。
しかし木村敬一は日本大学に入学するときが一番不安だったそうです。
なぜなら小中高と特別支援学校で色々な面ですごく守られて育ってきたことを自覚していた為、周りの人すべてが目が見えている状況で過ごすことも初めての体験だし、かつ日本大学は学生数が半端ないマンモス校だったので高校の先生に「友達ができるか心配です。」と打ち明けるほど不安だったそうです。
でも持ち前の負けず嫌いの性分やキャラクターがそういった不安を吹き飛ばしていったのでしょうね。
先生からは「お前ができなかったら全員無理だ。」とあっさり返されたそうです。
そして友達もすぐに出来たとの事でした。
大学進学後は健常者の水泳同好会に所属しました。
ロンドン大会・リオ大会の成績
在学中の2012年のロンドンパラリンピックでは日本選手団の旗手を務めています。
この時の成績は100m平泳ぎで銀メダル、バタフライで銅メダルを獲得します。
北京よりも成績を上げて念願のメダルを獲得します。
そしてロンドン以降に日本大学文理学部教授の野口智博コーチ(元200m自由形日本記録保持者)に師事します。
初めて専門のコーチに1対1で練習を見てもらうようになった木村敬一が感じたことは「健常者はこれくらいやるよ」という内容の練習メニューがきつく、自分が恥ずかしくなったそうです。
そうしてリオで金メダルを獲得することを目標に練習を重ねた結果リオパラリンピックでは50m自由形と100mバタフライで銀メダル、100m平泳ぎと100m自由形で銅メダルを獲得し日本人最多メダル獲得者になりました。
東京パラリンピックに向けて
日本大学文理学部を卒業すると日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程へ進学し博士課程を修了しているようです。
と同時に東京ガスにも所属しています。
社会人チームということではなくアスリート支援としてスポンサーシップ契約を結んでいるようですね。
そして2018年からは2年間拠点をアメリカに移しましたが2020年の全世界で大変なことになったので帰国し日本で調整をしています。
木村敬一のtwitterが面白いと話題に
木村敬一のtwitterのコメントが楽しいのでぜひ見てあげて下さいね。
明後日から合宿で家を開けると言うのに、どこで何を間違ったのか、納豆があと18パック冷蔵庫に残ってる。
— 木村 敬一 / Keiichi Kimura (@kimurakeiichi) July 16, 2021
最近ネットスーパーにはまってて、惣菜とかいろいろあって楽しいんやけど、こないだ切り干し大根頼んだら、当日になって欠品したらしくて、「代わりにきんぴらごぼうでもいいですか?3倍入れとくんで」って連絡きた。いや、いいんだけど。ごぼう、そんなにいらん。毎日ごぼう食べてる。
— 木村 敬一 / Keiichi Kimura (@kimurakeiichi) January 28, 2021
ネットスーパーの話の続きだけど、今度はブロッコリーサラダの代わりに千切りキャベツが来た。今回は事前に電話かかってこなかったから、多分シンプルなミス。何の味もついてない千切りキャベツ。ただ、もさもさしてる。これは本当にいらん。
— 木村 敬一 / Keiichi Kimura (@kimurakeiichi) January 30, 2021
今赤信号だからわたっちゃだめですよって、向かい側からわたってきた人が教えてくれた。
— 木村 敬一 / Keiichi Kimura (@kimurakeiichi) December 22, 2020
英語って、結局一緒によく話す人のが一番聞き取れるようになる。コーチとか友達とか。そういう訳で、テレビ観てても、トランプの言ってることが分かっても、バイデンの言ってることはまだ聞き取れない笑#留学生 #アメリカ大統領選挙
— 木村 敬一 / Keiichi Kimura (@kimurakeiichi) November 3, 2020
牛タン屋と思って自信満々に定食頼んだけど、単品しかないとか、お肉こちらで焼きましょうか?とか、そっちで焼くに決まってるだろとか思って、どうも話かみ合わなかったところで、たまたま同じビルの同じ階にある焼肉屋にいることが発覚したが、もう引けないので、思いがけず初の一人焼肉となった
— 木村 敬一 / Keiichi Kimura (@kimurakeiichi) December 11, 2020
高校の先生に「友達ができるか心配です。」と打ち明けた時の高校の先生が「お前ができなかったら全員無理だ。」とあっさり返した気持ちがよくわかります。
だっておもしろいもん。
木村敬一はどこの高校や大学に通っていたのまとめ
東京パラリンピックの競泳での金メダルに最も近いと言われている木村敬一の高校や大学はどこに通ったかを調べました。
高校は中学から通っていた筑波大学付属視覚支援学校の高等部で寮生活をしています。
大学は日本大学文理学部を卒業しその後日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程を修了していて現在は東京ガスに所属しています。
大学院を出ているなんて凄すぎですね。
今回の東京パラリンピックで4大会出場になります。
今大会で念願の金メダルを獲得できるように皆さんで応援しましょう!
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