昭和天皇は遺言で皇統は秋篠宮に移してはならないと言っていた!

昭和天皇 皇室

ここ最近、秋篠宮家のスキャンダルともいえるたくさんの話題が取り上げられています。

現在の皇位継承順位は1位、2位が秋篠宮家から出ることになっています。

そんな中、昭和天皇は遺言で皇統は秋篠宮に移すな!と言っていたということが言われていたというのです。

 

一体どういうことなのでしょうか?

本当に昭和天皇の遺言でそのようなことが記述されたりしているのでしょうか?

そしてその真意とはとどういうことなのでしょうか?

昭和天皇が遺言で皇統を秋篠宮に移すなと言ったことを調べてみました。

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昭和天皇は遺言で皇統は秋篠宮に移してはならないと言っていた!のは本当?

現在の皇位継承順位を有している皇族は3名です。

1位は今上天皇陛下の弟の秋篠宮文仁皇嗣、2位はその長男の悠仁親王で3位は常陸宮正仁親王になります。

戦後、皇位継承資格を有している資格者が最も少ない時期になっている状況です。

 

そして皇室に関する事項を定めた法律の皇室典範にある皇位継承順序の皇位継承権の第1位は天皇陛下の長男(皇太子)で2位は皇太子の長男で3位が皇太子の次男、4位は天皇の次男(皇次子)で5位が皇次子の長男となっており、基本的に天皇陛下直系の男子ということになっています。

 

その中で秋篠宮家から皇位継承者が2名存在しています。

そして2020年11月には秋篠宮殿下が皇位継承者となることを内外に宣明する「立皇嗣の礼」が執り行われ「悠仁さま万歳!よかった!」など男子が後を継ぐ継承者がいることに喜んでいる声を聞いたりしていました。

 

しかし、昭和天皇は崩御される前から「皇統は秋篠宮に移すな」「浩宮(今上天皇)の次は浩宮の子」ということをしきりにおっしゃっていたというのです。

この発言は本当なのでしょうか?

 

明確に記述されたりしている資料などは見つかりませんでしたが、昭和天皇のこの発言は昭和の時代に宮内庁に務めていた職員ならよく知られていた事実だというのです。

現在までそういった話が出ていることは当時の宮内庁OBからの情報源にしたネット上でのSNSなどで広がったのではないかと推測されます。

 

しかし昭和天皇はなぜ秋篠宮家に皇統が移ることに対して、そのような拒否反応をされたのでしょう。

単純に考えれば、おじい様である昭和天皇が孫の今上陛下の浩宮さまと礼宮さま(秋篠宮さま)を冷静に次代の天皇になるにはどちらがふさわしいかと比較した場合にあまりにも“出来が違う”ということがわかったからではないでしょうか?

 

というのも浩宮さまと礼宮さまの幼少期の写真から当時を推測してみるとその出来の違いが如実に現れてきます。

今上天皇は昭和天皇と東宮侍従から将来の為に幼少期からみっちりと帝王学を教え込まれたと言われています。

たしかに同時期の浩宮さまと礼宮さまの様子を見比べてみるとあまりにも出来の違いが判りますね。

 

また昭和天皇にお仕えした小林侍従著の「昭和天皇 最後の侍従日記」には礼宮さまの事を

「特に日頃からキリットしない動作の多い秋篠宮殿下」

と記述されています。

 

また、今上陛下と礼宮さまの性格も全く違うことから礼宮さまは帝王学を全く受けていないのかもしれませんね。

(実際に礼宮さまの幼少期の写真を探しても勉強している姿の画像はほぼ出てきません。)

 

それでは、それぞれの成長したお姿を見ていきましょう。

これだけの違いがあると昭和天皇の先見の明に感服いたすばかりです。

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昭和天皇は遺言で皇統は秋篠宮に移してはならないと言っていた!のまとめ

昭和天皇が「皇統を秋篠宮に移してはいけない」「浩宮の次は浩宮の子」と言っていたことを記述されている資料などはありませんでしたが、昭和の宮内庁では誰でも知っている話であったということです。

 

そして帝王学をきちんと学んだ浩宮さまと帝王学を受けていないであろう礼宮さまの現在の様子を比較してみると明らかであり、昭和天皇がそのような発言をなぜしたのかがよくわかる状況です。

 

まさに昭和天皇の先見の明には感服いたしますね。

そして、現在の愛子天皇待望論が求心力を増していることにも共通している点があるのではないでしょうか。

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