2021年9月8日に自民党総裁選挙に立候補を表明して総理大臣の座を狙う高市早苗衆議院議員の母親や父親はどのような人だったのでしょうか?
もしかしたら日本の総理大臣になるかもしれない高市早苗議員を母親や父親はどのように育てたのか気になりませんか?
高市早苗議員の学生時代は高校生からバイクを運転してみたり、メタルバンドに所属してドラムを叩いてみたりと、やりたいことをズバッとやってとても充実した生活だったのではないかと思います。
そんな高市早苗議員の母親や父親、家族構成についてまとめてみました。
高市早苗の母親と父親はどんな人
高市早苗議員の母親は高市和子さんといいます。
そして母親の和子さんはなんと奈良県警に勤めていらしたそうです。
子育てや祖父の世話で大変な時期にも、夜遅くまで家事をこなし、朝は誰よりも早く職場に着いて、同僚の机を拭いて花を活けることは、職業人としての母のプライドでした。
高市早苗コラムより
ご両親は共働きで家族を支えていたのですね。
母親の和子さんは2018年4月17日86歳で亡くなっています。
高市早苗議員の父親は高市大休(だいきゅう)さんといいます。
父親の大休さんの職業は設備機械メーカーで営業をしていたサラリーマンだったそうです。
高市早苗議員はよくある二世議員ではなかったのですね。
初選挙で落選してしまったため2回目の選挙に撃って出るか悩んでいるときに父親の大休さんの言葉が背中を押したそうです。
最初の選挙は落選。2度目の選挙は、32歳で挑んだ平成5年の衆院選でした。
(中略)
「二度目の失敗は政治生命を断つことになる。あと一期待ちなさい」と後援者からも引き止められ、公示日を目前に苦悩していました。
そんなある夜、家族が寝静まった後に帰宅すると、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。
「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って! 握手、お辞儀を忘れるな。気楽にやれ」
父の手紙を抱き締めて泣きながら、出馬表明を行なう決心をしました。
直進型の私に手を焼き、常に堅実に生きることを私に求め続けていた父が、最も苦しい決断の瞬間にそっと背中を押してくれたのです。
高市早苗コラムより
きっと父親の大休さんは自分の夢を追いかけている高市早苗議員の気持ちを良くわかっていたのでしょうね。
そして結果はトップ当選していました。
そんな父・大休さんは2013年5月5日に79歳で亡くなりました。
ご両親から受け継いだもの
高市早苗議員はこのご両親からたくさんの人として大事なことを学んだと言っています。
この年齢になっても、幼い頃に両親から繰り返し言い聞かされた事柄が「思考や行動の物差し」として刻み込まれていることを感じます。
- 「他人様に迷惑をかけることは絶対にしないこと。早苗ちゃんが過ちを犯したら、家族全員がお天道様の下を歩けなくなるのだよ」
- 「職業に貴賤は無いよ。汗水たらして真面目に働くことが尊いのだよ」
- 「陰で他人の悪口を言わないこと。言いたいことは直接本人に伝え、その場合も、相手の気持ちをよく考えること」
- 「毎日、ご先祖様に感謝をすること」
- 「食べ物は粗末にしないこと」
- 「学校では、先生の教えに従うこと」
- 「家族も集団生活なのだから、他の家族が不愉快になる振る舞いはしないこと」
高市早苗コラムより
高市早苗議員のご両親はとても良い教えをされていたんですね。
こういう人が世の中にたくさんいればもっと良い社会になるのではないでしょうか。
ぜひとも高市早苗議員には頑張って首相になってもらい良い政策を実行し、少しでも良い社会にして頂きたいですね。
高市早苗の母親父親はどんな人なのかのまとめ
自民党総裁選挙に立候補した高市早苗議員の母親・父親はどんな人であったかをまとめてみました。
高市早苗議員の母親は和子さんで奈良県警に勤めていたとの事。
そして父親の大休さんは設備機械メーカーに営業として勤務されていたそうです。
このご両親からとても大事なことを教えられて現在までもその教えを信条としているそうです。
ぜひとも高市早苗議員には女性初の自民党総裁、そして総理になってこの日本の為に頑張って頂きたいですね。
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